クシルロゴ


ロゴについて

串間市はかつて「櫛間」と呼ばれていたことで、櫛で頭の部分を表現。
「間」という文字を顔に見立てました。
メガネをかけた女の子が、串間のいまとむかしを追跡して串間を知っていく、という意味で「クシル」。
私たちが「くしまを知りたい」という想いをロゴに込めました。

串間市の沿革

串間市は、古くから櫛間と呼ばれ、荘園時代にこの区域(旧、福島町、北方村、大束村、本城村、都井村、市木村)を櫛間院といった。
建武年間、武州七党のうち横山党の出という野辺氏がこの地の地頭となり、室町時代は島津氏が領し、永禄11年6月、島津氏、伊東氏が戦火を交え、遂に島津氏の敗退となり、伊東氏の領するところとなった。天正5年12月、伊東、島津の両氏は再び戦い、伊東氏が敗れて居城をすてて豊後にのがれ、櫛間は再び島津氏の領となった。

時はうつり、天正15年4月、秀吉の九州征伐軍日向に侵入するや、たちまち島津氏の飫肥領をうばい、筑前から来た秋月種実に高城、財部(のち高鍋と改む)および櫛間を与え、伊東氏には飫肥を与え、櫛間が伊東、島津の緩衝地帯となった。

当時、秋月種実は今の西林院に櫛間城を修築し、ここを居城として高鍋まで支配していたが、慶長9年、居城を高鍋に移したので櫛間は飛領となり、明治維新まで280年間続いたのである。

明治4年7月の廃藩置県後は、高鍋県に属し、まもなく高鍋県が廃され都城県となりこれに属した。同6年、美々津県として合して宮崎県となり、同9年、鹿児島県に編入され、同16年、再び分県して宮崎県が設けられたのでこれに属した。

明治4年以後18年間、西方、高松、奴久見、秋山、串間、北方、南方、大平、大矢取、一氏、本城、崎田、都井、大納、御崎、国分、海北、六郎坊、市木の各村に分かれていたが、明治22年これを6ヶ村に整理統合し、福島村、北方村、大束村、本城村、都井村、および市木村がそれぞれ誕生した。

大正15年10月、福島村は町制を施行、昭和26年、北方村と合併し福島町となったが、昭和29年11月3日文化の日に5ヶ町村が合併して新しい「串間市」が誕生した。

平成26年11月3日には市制施行60年目を迎えた。
近年、少子高齢化、高度情報化、経済のグローバル化が加速するなか、地方を取り巻く状況は必ずしも良好とは言えない。しかし、当市は都井岬や幸島に代表される豊かな自然や温暖な気候など、地域の特性を活かしながら、環境と産業が調和する自立した地方都市として発展するための歩みを続けている。

串間市ホームページより

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